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山口小夜子という美しさ

嬉しいことに現在、パリやミラノ、NY、ロンドンのファッションウィークで日本人モデルの顔をひとりも見ない、ということはほとんどない。今、波に乗っている岡本多緒をはじめ、一児の母になってなおエッジィに輝き続ける富永愛など、世界の舞台で一流の仕事をしているモデルがいるのは誇らしい。


「小夜子の魅力学。」山口小夜子著(1983)文化出版局


(C)久米正美



そんな、世界でリスペクトされる日本人モデルの先駆けに、山口小夜子がいる。彼女は1970年から1980年代にかけて、高田賢三や山本寛斎、三宅一生、Yves Saint Laurent などトップデザイナーたちのミューズとなった。

おかっぱの黒髪に、切れ長の目を強調するような漆黒のアイラインとまぶたに差された紅、まるで日本人形に命を吹き込んだかのようなビジュアルは、強烈な日本美をファッション界に持ち込んだ。

彼女がモデルをはじめた1970年代はとにかく西洋風の顔立ち、ハーフモデルが全盛で純日本人な容姿が喜ばれることはほとんどなかったという。オーディションに行っても「髪を染めてから来なさい」と言われ、メイクもとにかく“外国人風”になるよう注意された。しかし、純粋な日本人である自分の顔かたちに海の向こうから来たヘアスタイルや化粧が似合わないことを、そしてなにより、なぜ“西洋人になる”ことがベストなのか納得がいかなかった彼女は、いくらオーディションに落ちようと自分のスタイルを変えることはなかった。モデルとして仕事がとれず、ドレスメーキングの学校へ戻ろうか迷っていたころ、母親に切ってもらったおかっぱ頭で挑んだオーディションが、彼女のその後を大きく変える。山口小夜子が「東洋の神秘」になるきっかけとなったショーこそデザイナー山本寛斎との出会いであり、自分の民族に誇りをもつ美しさを考え続けた彼女が、表現する舞台を手に入れた瞬間だった。

――落ちたらやめようと決意していたの。でも、通った。その時からずうっと今日までおかっぱ――ファッションは文明の本質から生まれてくるものだと考えたい。民族性にとらわれることはないけれど、少なくと「まわりからどう思われているか」などという観点だけで決めることはない――

山口小夜子には周囲の空気から切り取られたような、浮き上がったような、独特の強い色がある。そんな独自の色が魅力だった彼女も、はじめからからそこにたどりつけたわけではない。
横浜の外国人墓地という地域に暮らし、海外の文化に触れるのも特別なことではない環境に生まれ育った。学生時代は日本の雑誌とともに、当時アメリカで人気のあった Seventeen を買うのが何より楽しみで、気に入った服を見つけては母親に作ってもらった。そうやって文化をまたぎ自分なりのおしゃれを探す中、彼女は海外の雑誌と日本の雑誌にはなにか根本的な相違、ファッションに対する価値観に違いがあることを感じる。Vogueを見てはなんて素敵な世界だとあこがれ、中原淳一のイラストに載っているかわいい服を母親に作ってもらった。二つの世界を行ったり来たりすることで彼女のスタイルは作られて行った。
現代の女性もまた、彼女と同じように二冊の雑誌から違う世界を見るのことがあるのではないだろうか。

――結局、少女から大人になるあいだ、私は「かわいいな」ということと「ステキだな」ということの葛藤の中にいたみたい――

ひとときだけではなく、長く愛されるモデルというのは必ず人を惹きつけるパーソナリティをそなえている。美しいことはモデルにとって必要最低限なことであり、デザイナーを触発し、作品の表現者となるには人に対する感性を研ぎ澄ませ、関わりを持つ中に生まれる“何か”を投げ合わなければならない。作品のイメージに合った女性像を具現化し、ビジョンを観客に伝える。例えば有名デザイナーが作った服の代わりにごみ袋があったとしても、本当のモデルならばそれを着こなすことができるだろう。身にまとうものがどれだけ変わったところで、彼女たちの魅力の元は違うところにあるからだ。

世の中で評価される前も後も謙虚に、ただひたすら自分だけの美を追求し続けた彼女だからこそ、世界中のデザイナーやアーティストに愛されたのではないだろうか。モデルというのは見ている者が思う以上に、外見ではなく中身を使った仕事なのだということを、山口小夜子は教えてくれる。

――「着る」ということを考えるなら、私は地球上にあるものなら何でも着られるとおもう。光でも木でも飛行機でも壁でもビルでもテレビでも電気でも黒板でも着れるという自信がある。私はあらゆるものを着なくてはいけないんだとおもっている――

彼女のスチールは異常なまでに美しく、冷ややかだ。けれど、モデルではない個人の山口小夜子の映った映像からは、彼女がよく笑う、かわいらしい人なのだと知ることが出来る。ちょっとはにかんだように、うつむきがちに笑う姿は少女のようで見る者も微笑ませてくれる。1998年にNHKで放送されたインタビューの中で、彼女はこんな言葉を残している『意図的なことをなくす 自分をなくすことから本質に触れる』彼女がこれほどに透明なのはその意識の現われなのかもしれない。自分をなくし、徹底的に尽くさなければ触れることができない美しさの本質、それはとても尊く強い。

だからこそ、彼女の残した作品は人が回り、流行が何度繰り返されようと絶対の美しさで、見る者を透明な世界へ連れて行ってくれるだろう。

2007年8月に急逝するまで、彼女はモデルやパフォーマーとして活躍した。

資生堂「京紅」(1978)

(C)NORIAKI YOKOSUKA

「ROSE ENDORMIE;TESEPINES ME TUENT」

(C)SERGELUTENS

※拡大画像は、写真をクリック

山口小夜子
1950-2007 
1977年 Newsweek が選ぶ「世界のトップモデル6人」にアジア人として始めて選出される。
Show:Yves Saint Laurent、高田賢三、山本寛斎、Thierry Mugler、Jean-Paul GAULTIER など
Campaign:資生堂 など 

出典
本文中にある本人のセリフはすべて「小夜子」横須賀功光写真集(1984)文化出版局 巻末インタビューより抜粋

写真クレジット(ページ上より)

  • 「小夜子の魅力学。」山口小夜子著(1983)文化出版局 150p
  • 資生堂「京紅」(1978)
  • 「ROSE ENDORMIE;TESEPINES ME TUENT」(1980)

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